2022年に放送され2025年9月19日(金)22時00分~22時30分、「ドキュメント72時間」NHK総合1で放映されるのは東京の下町・南千住にある老舗の総菜パン屋。店先で揚げたコロッケやハムカツをコッペパンに挟み、ソースをかけただけのシンプルなパン。安くてボリュームもあり、地元の人たちに長年愛されてきた。50年以上前から通っている常連さん、近所の友達の分もと大量に買っていく男性、事情があって今は仕事がないという人もやってくる。変わらないコロッケパンに人々は何を求めているのか。下町の日常を丁寧に見つめる。2022年に初回放送され再度放送される。
営業時間・アクセス情報
店舗情報
- 店名 | 元祖青木屋(あおきや)
- 所在地 | 東京都荒川区南千住6-47-14
- 電話番号 | 03-3807-4517
- 営業時間|70:00〜13::00〜13:30
- 定休日|日・祝日
- Instagram:aoki.ya
青木屋は月曜から土曜まで朝7時に開きます そして売り切れ次第に終了します 目安としては正午を過ぎて13時前後で完売する日が多いと案内されています ですので早い時間帯に向かうと安心です なお日曜と祝日はお休みです 情報は店の公式インスタグラムで随時告知されます ですので出発前に最新情報を確かめると予定が組みやすくなります。
最寄りは南千住駅と三ノ輪駅と三ノ輪橋停留所です 南千住駅西口から歩いて十分ほどで着きます 日比谷線の三ノ輪駅からも徒歩十分ほどで着きます 都電荒川線の三ノ輪橋停留所からは徒歩四分ほどで着きます ルートはいくつかありますが南千住駅西口から尾竹橋通り方面に進み南千住六丁目交差点を目印にすると迷いにくいです 時間に余裕があればアーケードや商店街の雰囲気を楽しみながら歩けます 駅からの徒歩移動が難しい場合は周辺のバス停も選べます 南千住六丁目バス停で降りると徒歩二分ほどで到着します。
来店時のポイント/おすすめの時間帯
おすすめは朝の時間帯です 七時の開店直後から並ぶ人が多いのですが揚げ上がりのたびに列が流れるので待ち時間は想像より短く感じます そして十三時前後に完売する日が多いため昼過ぎの来店は注意が必要です 家族や友人の分を頼まれることがあるなら種類と個数を先に決めておくと会計がスムーズです まずは定番のコロッケパンを一つ そしてメンチやハムカツやとんかつをもう一つという選び方が満足度を高めます 揚げたてのタイミングと袋の温もりを楽しみながら近くの公園で食べる人も多いです。
混雑を避けたいときは開店すぐか平日の朝を狙います そして最新の営業案内は公式インスタグラムに掲示されます ですので臨時休業や売り切れ時刻の変更がないか当日の朝に確かめます 駅からのルートは南千住駅西口からの徒歩が分かりやすく バス停を使うなら南千住六丁目で降りて二分ほど歩きます 複数種類を試すならシェアも便利です まず半分ずつ分けて食べ比べると違いがよく分かります そして好みが固まったら次の来店で数量を増やすと楽しく続きます。
下町に根付くコッペパンの名店「青木屋」について
東京都荒川区南千住にある青木屋は、昭和32年に創業した老舗の総菜パン屋です。創業者が山形から上京して、もともとは乾物や総菜を扱う店を営んでいたことが始まりでした。その後、地域の暮らしに寄り添う形でコッペパンを使った惣菜パンを提供するようになり、下町の日常に欠かせない存在へと成長してきました。半世紀以上にわたり、揚げたての具材を挟んだコッペパンを変わらない姿で提供し続けてきた姿勢は、地元の人々に安心感を与えています。
南千住という地域は下町情緒が色濃く残り、庶民的で親しみやすい文化が息づいています。その土地柄に合うように、青木屋は華美な装飾や派手な宣伝ではなく、あくまで「日常の食事」としてパンを提供し続けてきました。大きなパン屋チェーンのように全国展開はせず、この町で暮らす人々にとっての生活の一部として愛されているのです。創業当時から続くスタイルを守り、代替わりを経てもその姿勢は変わっていません。
青木屋のコロッケパンとは何か
青木屋の看板商品であるコロッケパンは、蒸したじゃがいもを丁寧につぶし、衣をつけて揚げたコロッケを特注のコッペパンに挟み、仕上げにソースをかけただけというシンプルな一品です。具材はあくまで定番のじゃがいもを中心とし、余計な飾りは一切ありません。それでも揚げたての香ばしい香りとパンの素朴な甘さ、ソースの酸味と甘みが一体となって食べる人の心を満たします。
特注のコッペパンはふんわりとした食感でありながらしっかりと具材を受け止める力があり、揚げ物との相性が非常に良いのが特徴です。さらにソースをかけるだけという潔い構成によって、食材そのものの味が引き立ちます。この「余計なものを足さない」作り方こそ、青木屋のコロッケパンが長年支持され続ける理由のひとつです。
半世紀以上にわたり変わらないこのスタイルは、南千住の町並みや人々の暮らしと同じように、日常の一部として自然に溶け込んでいます。
メニューのラインナップと価格帯
青木屋ではコロッケパンのほかにも、メンチパン、ハムカツパン、とんかつパンなど揚げ物を中心とした惣菜パンが並びます。どのメニューも揚げたての具材をその場でパンに挟み、ソースをかけるというシンプルな仕立てです。ボリュームはどれも満点で、ひとつ手にすれば十分に満足できる大きさがあります。
価格は手頃でありながら重量感のある仕上がりとなっており、コストパフォーマンスの高さが魅力です。コロッケパンは二百円台から三百円弱で提供され、学生や会社員、地域の高齢者まで幅広い層が日常的に手にできるようになっています。惣菜パンというジャンルの中でも、価格と内容のバランスが優れていることがわかります。
また、店頭に並ぶラインナップは時代に合わせて微調整されることはあっても基本は大きく変わりません。揚げ物を中心としたシンプルなパンを揃え続けているため、常連客が久しぶりに訪れても変わらぬ味に出会える安心感があります。
地元から愛される理由:人々の声と思い出
青木屋には50年以上通い続けている常連客もいます。若いころから通い、結婚して家庭を持ってからも変わらずに買い続ける人が多く、親から子へと世代を超えて受け継がれている存在です。また、近所の友人や職場仲間の分をまとめて購入する人も多く、一度に十個以上買い込む光景も珍しくありません。
仕事がなく生活が苦しい状況にある人も、安くて満足感のあるパンを求めて訪れます。その場で揚げられる音と香りに誘われ、自然と人が集まる店先は下町らしい温かさを感じさせます。青木屋のパンは単なる食べ物ではなく、地域の人々にとって心の支えであり、生活の一部として存在しているのです。
南千住という街は古くから人情味あふれる土地であり、そこで変わらず営業を続けている青木屋は地域の記憶そのものでもあります。安くて満たされるものを提供し続けることで、青木屋はパン屋以上の役割を果たし、多くの人に支えられてきました。
他にはない“シンプルさ”が持つ魅力
店頭で揚げたてのコロッケやハムカツやメンチやとんかつをコッペパンに挟みソースをさっとかけて手渡すだけ それが青木屋の基本です 余計な具材を足さないため香りや食感や温度の変化がそのまま届きます 揚げたての湯気と衣の音とソースの甘さと酸味が順に立ち上がり大きなパンがやわらかく受け止めます そして食べ進めるほどに具材とパンの比率が変わり最後まで単調にならない満足感が続きます。
パンそのものも評価されています ふんわりとしていながら重みがあり具材をしっかり支えます 口コミでは青木屋向けに特注されたコッペパンと紹介されています そしてソースのみという潔い構成が具材とパンの素朴な旨さを引き立てると語られます 飾らない作り方が日常の食事に合い毎日でも食べられるという声につながります 大きくて手頃で温かいという三つの要素がそろい下町の惣菜パンとしての魅力が際立ちます。
変わらない日常と時代の中で揺れるもの
青木屋が守り続けるのは作り方と渡し方です 朝七時に揚げて挟んで渡すという日常が店先に流れます 行列ができても回転が速く揚がるたびに列が進みます 待つ時間に漂う香りが空腹を刺激し受け取った袋の温もりが手に伝わります そうした体験が記憶となり次の来店につながります 地域の人が差し入れに選びまとめて買う光景も多く見られます そして比較的早い時間に売り切れる日が多いので朝の町並みとともに味わう人が増えています。
2022年にはテレビ番組の取材で店の姿が紹介されました 放送をきっかけに店の歴史や惣菜パンの大きさや価格以上の満足感が広く知られました その後も多くの来店記録が残り行列の報告や完売時間の話題が続いています ただし店の核は変わりません 揚げたてを挟んで渡すという営みが淡々と守られます 言い換えるなら変化が注目を連れてきて 変わらない日常が客の心を落ち着かせるという好循環が生まれています。
“コロッケパン”という文化の下町における意味
惣菜パンの文化は毎日の食事を気負わず満たす工夫として広がり街角の小さな店とともに育ちました そして揚げ物を挟んだコッペパンは持ち運びが容易で手早く食べられて腹持ちが良いという実用が評価され下町の暮らしに溶け込みました 下町では商店街や市場のにぎわいと結びつき顔なじみの呼びかけと揚げたての香りが合図となり人が集まり会話が生まれ小さな買い物が小さな交流を生みます。
地域コミュニティとの関係は買う人と作る人が互いの生活リズムを共有するところにあります そして店先で揚げる音と湯気がその場の時間を区切り今日の一日が始まる合図となり子どもから高齢の方までが同じ列に並び同じ温度の袋を手にします 常連がまとめて買い差し入れに使う光景が続き友人や家族の話題が自然に広がり地域の出来事がさりげなく更新されます。
安さとボリュームと心の満足は三つで一つの価値として働きます 手が届く価格が日常の選択肢を守り大きさと重みが体を満たし受け取った袋の温もりが気持ちを落ち着かせます そして余計な飾りを足さない構成が味の記憶をぶらさず同じ体験を何度でも確かめられます 日常の食べ物であることが誇りとなり下町のコロッケパンは地域の景色と人の往来を支える土台として生き続けます。
NHK「ドキュメント72時間」とは
「ドキュメント72時間」は、NHK総合テレビで2006年に放送を開始したドキュメンタリー番組です。タイトルの通り、ある特定の場所にカメラを据え、72時間=3日間にわたって訪れる人々を見つめ続け、その姿や言葉を切り取る形式が特徴です。取り上げられる場所は駅のコインロッカー、サービスエリア、コンビニエンスストア、居酒屋、病院の待合室、地方の商店など多岐にわたり、日常の中に潜む人生模様を丁寧に描き出します。
番組は大きな事件やニュースではなく、日常の場面を淡々と記録し、登場人物の短い語りや選択の積み重ねから「生きるとは何か」「社会の今がどう映るか」を浮かび上がらせます。3日間という限られた時間で撮影されるため、臨場感があり、リアルな人間模様が凝縮されます。
ナレーションは俳優や声優が務め、落ち着いた語り口が映像と調和し、視聴者が自然に引き込まれる演出になっています。過去には松重豊さんや吹石一恵さん、吉田羊さんらが担当し、回ごとに雰囲気を変える工夫もなされています。
番組は国内外で高く評価され、2019年には国際エミー賞の候補に選出されるなど、日本発のドキュメンタリーとして国際的にも注目を集めました。再放送や特集編も組まれ、ファンが多い長寿番組のひとつです。
まとめ
南千住の青木屋は朝に揚げて挟んで手渡すという営みを続け地域の一日のリズムを支えてきました そして大きくて手頃で温かいという価値を変えずに守り続ける姿が信頼を積み重ね世代を越えて選ばれます 店先で揚がる音と湯気とソースの香りが合図となり列が流れ袋の温度が手に移り食べ終えるまでの時間が心の休息になります。
惣菜パンは道具も場所も選ばず働く人の朝や子どもの放課後や家族の食卓を支え続けました そして下町の商店街と共鳴し買い物が会話を生み会話がつながりを生みます 変化の多い時代でも余計なものを足さない作り方が日常の軸となり価格と満腹と安心の三つを同時に満たします。
青木屋のコロッケパンを手にすることはこの町で続いてきたやり取りの一部になることです そして誰かの分を一緒に買い袋を分け合い同じ温度を共有することで関係は少しだけ強くなります 変わらない方法で変わらない味を届けるという誠実さが地域の誇りとなり今日もまた開店の合図とともに小さな列が静かに伸びていきます。
下町のコロッケパンと「72時間」の魔法
「ドキュメント72時間」を観るたびに感じるのは、目の前の光景が特別な場所でなくても、人の営みを三日間じっと見つめるだけで、そこに壮大な人生の縮図が立ち上がるということです。今回の舞台は、東京・南千住の老舗総菜パン屋「青木屋」。揚げたてのコロッケやハムカツをコッペパンに挟んで、ソースをかけるだけ。シンプルすぎるほどの構成なのに、番組の30分は不思議なほど豊かに満たされていました。
パンそのものを味わう番組ではなく、パンを通じて人々の暮らしや心の奥に触れる番組。これが「72時間」の真骨頂です。
コロッケパンに映る「日常の経済学」
安くてボリュームのあるコロッケパン。これを何十年も作り続けているという事実自体が驚きです。考えてみれば、コロッケは家庭料理としても庶民の味方で、じゃがいもと少しのひき肉や玉ねぎで大皿いっぱい作れる「節約料理」の代表格。そのコロッケをパンに挟むという発想は、まさに下町的な合理と満腹感の追求です。
ここで少しうんちくを。日本におけるコロッケの起源は明治時代、フランス料理の「クロケット」が元祖です。当初は高級料理だったのが、やがて庶民の食卓に下りてきて「コロッケ」として定着しました。そして昭和に入り、パンの普及とともにコロッケパンが登場。つまり、青木屋のコロッケパンは100年以上の食文化の変遷を凝縮している存在とも言えます。
番組に登場する人々が「安いから助かる」「ボリュームがあるから満足できる」と語るのは単なる感想ではなく、日本の食文化と経済の歴史を背負った発言でもあるのです。
常連客と「世代を超える味」
50年以上通い続ける常連さんがいました。これを考えると、青木屋のパンは単なる食品ではなく「人生の時間割」に組み込まれているのだと思います。子どもの頃から食べて、大人になって家族を持ち、孫と一緒に再び訪れる。ひとつの店が代替わりしながら続き、客もまた世代を超えて通い続ける。そこには「食の継承」という文化的な価値が潜んでいます。
こういう場面を見ると、ふと「パン屋は小さなタイムマシンだ」と言いたくなります。懐かしい味を噛みしめる瞬間、人は確実に過去の自分と再会しているのです。スーパーやコンビニでは得られない時間旅行が、青木屋の袋一つに詰まっている。これはユーモラスでありながら、実はとても深い現象です。
コロッケパンと「コミュニティの回路」
番組には「友達の分をまとめて買う男性」も登場しました。ここが面白いポイントで、コロッケパンは単なる昼食ではなく「人をつなぐ回路」として機能しているのです。
大量に買って配るという行為は、地域の小さなネットワークを潤滑にし、会話を生み、時にはちょっとした支えにもなる。南千住という土地に根付いた「人情」の象徴が、紙袋に詰められたコロッケパンだと言えます。これを「炭水化物によるコミュニティ形成」と呼んだら笑われるかもしれませんが、実際に社会学的な視点でも十分に成立するテーマです。
「72時間」が見せるドキュメンタリーの妙
この番組の大きな魅力は、ナレーションが最小限で、登場人物の言葉や表情に寄り添うところです。語り手である勝地涼さんの声が、場面を壊さずにすっと入ってくるのも心地よい。
「ドキュメント72時間」は、場所を決めて人を待つだけで、人生の多様さが自然に集まってくるという手法を徹底しています。コロッケパンを買うだけの行為が、仕事を失った人の現状や、子育て中の母親の苦労や、高齢者の思い出話へと広がっていく。ここに「日常の奥行き」を見せる力があります。
そして、三日間という時間制限があるからこそ「今しか語られない声」が浮かび上がる。この緊張感が番組を一層引き締めています。
番組を観ていて思うのは、撮影スタッフの食事事情です。朝から晩まで店の前でカメラを構え、揚げたての香りに包まれながら、自分は食べられないという状況。取材班が休憩中に「やっぱり一つ買おうか」とこっそり並んだとしても、誰も責められないでしょう。むしろそれが番組の一体感を生むはずです。
また、パンを大量に買う客がいると、後ろの人は少し不安になる。「あれ、コロッケパン残るかな?」と。そんな緊張感も含めて、この番組はリアルな日常を切り取っています。
今回の「南千住コロッケパン物語」は、食べ物の話でありながら、それ以上に「生きることの物語」でした。安さとボリューム、そして心を満たす温もり。惣菜パンという日常的な存在が、人の人生や地域の歴史をここまで映し出すとは、改めて驚かされます。
「72時間」というレンズを通して見ると、平凡なパン屋が世界を語る窓になる。だからこの番組は長年愛され、国際的にも評価されているのだと思います。そして、次に青木屋の袋を手にした人はきっと、ただのコロッケパンではなく「下町の時間の重み」をかみしめることでしょう。
コロッケパンという「昭和の遺産」
南千住の青木屋が映し出された今回の「ドキュメント72時間」を見ていると、食べ物そのもの以上に「昭和」という言葉が頭をよぎります。揚げたてのコロッケを特注のコッペパンに挟み、ソースをかけるだけという潔さ。昭和の食堂や駄菓子屋が持っていた「安くて大きくて温かい」感覚が、今なお息づいていると感じさせられます。
ちなみにコッペパン自体は戦時中の学校給食に端を発します。小麦の供給を受けて普及したこのパンは、戦後の食糧難の時代に子どもたちの栄養源となりました。そこに揚げ物を組み合わせることで、満腹と満足を一度に叶えるスタイルが生まれ、今に続いているのです。コロッケパンを頬張ることは、歴史を噛みしめることでもあるのです。
「地域のランドマーク」としてのパン屋
青木屋の前に列ができる様子は、単なる買い物風景ではありません。地域にとってランドマークのような役割を果たしているのです。観光名所ではなく、日常に組み込まれた「生活の目印」として人を集める。誰かと待ち合わせをするにも「青木屋の前で」と言えば通じる。そんな存在感が町に根を下ろしています。
この「ランドマーク性」は地域コミュニティの安心感につながります。知らない人同士でも「今日は揚げたてだね」と言葉を交わせる。小さな交流が積み重なり、町の記憶に刻まれていきます。パン屋がまちづくりに果たす役割を改めて考えさせられました。
ドキュメント72時間の「時間の使い方」
この番組の特徴は、72時間という時間軸を据えることで人の営みを浮かび上がらせる点です。普通のニュース番組なら数十秒で流れてしまう一コマも、72時間という濃密な観察の中で重みを増していきます。
今回の放送では、常連がパンをまとめ買いする姿や、仕事がなくても足を運ぶ人の話が、じっくりと時間をかけて紹介されていました。その姿は短い取材では絶対に見えてこない「人間の深層」でした。72時間という数字は単なる撮影の都合ではなく、人間が自分の生活や思いを自然に語り出すために必要な「熟成の時間」なのだと思います。
「ナレーションの力」と勝地涼の声
番組の大きな魅力のひとつがナレーションです。今回担当した勝地涼さんの語りは、柔らかく、しかし少し距離を保つような不思議な響きがありました。視聴者に過剰な感情移入を求めるのではなく、淡々と状況を伝えつつ余白を残す。この余白にこそ、観る人それぞれの想像や思い出が入り込みます。
「コロッケパンを食べたことがある」という体験を持つ人は多いでしょう。その共通体験を思い起こさせる声の響きが、画面の向こうの南千住と自分の記憶を自然につないでくれるのです。
コロナ禍を経て変わる「食と公共空間」
2022年に初放送された背景にはコロナ禍の影響もありました。人が集まることが制限され、飲食店が苦境に立たされた時期でも、青木屋は地域の生活に欠かせない存在であり続けました。外食産業が打撃を受けるなか、持ち帰りやテイクアウト中心の惣菜パンは「日常を支える食」として強みを発揮しました。
パン屋の前にできる列も、ただの購買行動ではなく、人々が安心を得るための社会的な場になっていたのではないかと思います。コロッケパンの香りと袋の温もりに包まれることで、誰もが「自分はまだ大丈夫だ」と感じられた。そうした心理的支えの役割も、この番組を通じて浮かび上がってきました。
海外から見た「72時間」の魅力
少し視点を変えると、この番組は海外でも評価が高いドキュメンタリーです。国際エミー賞の候補になったこともあり、「72時間」という時間設定がユニークな手法として注目されています。
外国の人から見れば「パン屋の前に並ぶ日本人」という光景はエキゾチックに映るかもしれません。しかし実際に番組を見ると、そこには人間として共通する喜びや不安や希望が描かれている。文化が違っても、日常のささやかな瞬間が人を感動させるのだと改めて気づかされます。
コロッケパンを「哲学」する
ここで少しユーモアを交えて考えてみます。コロッケパンとは哲学的な存在ではないか。パンは「土台」であり、コロッケは「人生の試練」、そしてソースは「ちょっとした楽しみ」。パンがなければ試練は支えられず、ソースがなければ喜びも薄い。つまり、コロッケパンを食べることは「人生とは何か」を体で理解する行為なのです。
考えすぎかもしれませんが、惣菜パンを三日間じっと見ている番組を観たあとなら、こんな哲学的な連想も自然に出てきます。これこそが「72時間」の魔法と言えるでしょう。
「ドキュメント72時間 下町・南千住 コロッケパン物語」は、パン屋を通じて下町の暮らし、人々の心の動き、社会の変化まで映し出しました。単なる食レポではなく、地域文化の記録であり、人生の縮図でもあります。
パンを買いに来る人々の姿は、そのまま時代を映す鏡でした。安さとボリューム、そして心の満足。何十年も変わらずに続くパン屋の営みが、テレビの画面を通じて全国に伝わり、再び人々の記憶に刻まれる。ここに「72時間」が長く愛される理由があります。
次に青木屋の前に立ち、揚げたてのコロッケパンを手にする時、きっと誰もが番組のシーンを思い出すでしょう。そして、ただのパンではなく「自分の物語の一部」として味わうことになるはずです。
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